メソッド屋のブログ

米マイクロソフト Software Development Engineer 牛尾の日記です。ソフトウェア開発の上手なやり方を追求するのがライフワーク。本ブログは、個人の意見であり、所属会社とは関係がありません。

批判が少しだけ上手くなる方法を考えてみた [最終回]

職場が変わって、前の職場と比べるとよりインターナショナルになりました。今はアメリカ人の人はいてなくて、インド、メキシコ、ロシア、中国、エジプト、ブラジルかなりインターナショナルです。 f:id:simplearchitect:20200629123603p:plain

前回私は批判についての気づきをシェアしましたが、今までのブログの中でも1、2を争うぐらいに多くの人に読んでいただいたみたいです。そのリアクションの中で、多く含まれたコメントが「批判」と「非難」「中傷」はちがうというコメントが多くありましたの、今回はそのトピックに関して書いてみたいと思います。

simplearchitect.hatenablog.com

反対意見や批判が全くつらくない職場

私がアメリカに移ってから職場が2つ目ですが、今まで反対意見を言われたり、批判をされたときに心がつらくなったことがありません。日本にいたときを思い起こすとそうではなくて、批判や、反対意見を聞くと正直心がつらいと思っていました。私は炎上慣れしていてスルーも得意なのですが、どうしているか?というと単に通知を切ったりコメントを見ないようにしています。うれしいコメントやロジカルなものも沢山あるので申し訳ないのですが、そうでないとバズればバズるほど、自分のメンタルを守る手段がないからです。 f:id:simplearchitect:20200629123745p:plain

大抵の人は大丈夫なのですが、一部の人のコメントを読むと心がやられます。量が多いとボディブローのように効いてきます。人格否定みたいなものもありますが、おそらく本人は、そのつもりがなくても、私の心がつらくなるものもあります。これは一体何が違うのでしょう?

他人はコントロールできないので、何か自分がほかの人に対してそうしないためにうまい批判のコツはあるだろうか?気持ち良いディスカッションをするためには?という発想から考えてみました。ブログがバズると、どんなメッセージが作者に届くか?というのは私の炎上系のブログのはてぶとかを見ると体験できるかもしれません。Twitterはより激しいのを堪能できますw

b.hatena.ne.jp

批判の定義

[名](スル) 1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」 2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」 3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

  1. to express disapproval of someone or something
  2. to give an opinion or judgment about a book, film, etc.

批判(ひはん)の意味 - goo国語辞書

CRITICIZE | meaning in the Cambridge English Dictionary

日本語のほうが若干キツイ感じがしますね。よく、技術者たるもの、「どんな批判も甘んじて受け入れたり、まさかりを投げ合って成長するものである」とか、言わることがあるようです。まるで、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」とか言ってる戦国武将のようです。 f:id:simplearchitect:20200629133859p:plainそんな辛いことをしないとプロフェッショナルになれないのかな?と思っていましたが、アメリカに来てみるとみんな「ハッピーかどうか?」が重要であって、こんなノリが全くありませんでした。しかし、実際には意見が対立することなんてしょっちゅうあるわけです。じゃあ何が違うのでしょうか?同僚の発言を思い出してみました。

他人や、他人のアイデアを否定しないこと

観察してみた結果、すごく単純で、他人や、他人のアイデアを否定しないことが究極のポイントのようです。「えーそんなんやったら違う意見言えないやん」と思うかもしれませんがそんなことはありません。

否定されたときに心がつらくなる原因としては、「自分が否定された気分になる」ということが大きいと思います。私の職場のコミュニケーションを見ていると、日本にいるときによくあった「お前は間違っている」とか「それは間違っている」という発言は全く聞きません。

多分言ったら相当失礼な人と思われるかもしれません。ちなみに、日米文化の専門家のㇿッシェルカップさんが言っていたのですが、日本から来たマネージャが、パワハラで訴えられることが多いという話があって、このあたりが原因の一旦かもしれません。意外かもしれませんが、アメリカでは敬語はないですが、人に何かを依頼するときは相当丁寧な言い回しをします。

相手のアイデアを尊重して、自分の意見を言う

こういった反対意見を言うときや自分の意見を言うときに頻繁に出てくるフレーズが、「In my opinion」です。日本語でいうと、「自分の意見では」とか「自分の意見を述べさせてもらいますね」みたいなニュアンスです。 f:id:simplearchitect:20200629125635p:plain このノリで話すと、たとえ相手のアイデアと正反対の意見であっても、言われたほうがあまり「心にぐさっとこない」感じになります。ソフトウェアエンジニアの人でしたら、英語圏GitHubのコメントやディスカッションを見ているとノリがつかめるかもしれません。少なくとも、ガバナンスが効いているリポジトリはかなり平和です。英語が得意な方は、次のディスカッションとか見ていただければ雰囲気がわかるかもしれません。がっつり議論はしていますが、「感謝の言葉」や、「自分的には、、、」という言い回しにあふれてますので、とても気持ち良いですし、心にグサッとこないので、議論が効率的です。

github.com

アメリカだと、今起こってるような暴動系の話は置いとくと、大抵のことは、「人はこうすべき」ということがものすごーく少ない世界です。だから、「人」はそれぞれに魅力があり、自分ではない他人に対して「こうすべきだ」というのはおこがましいという雰囲気があります。私もその考えがとても気に入っています。逆に、「お前はこうすべきだ」とか「こうしろ」というのがコメントから透けて見えると結構心を持っていかれます。

具体例を考えてみる

具体例を考えてみましょう。例えば最初にリンクした私の前回のブログと一部意見が違う人のコメントで、上記のテクニックに沿っている人の例を見てみましょう。「お前は間違っている!」というノリではなく、「私はこう思う」というのを発信しているだけですので、このノリでコメントが来ても心がつらくなることはないと思います。

もっと激しい例でみてみましょう。残念ながら元ネタは、公開できないところで見かけたものなのですが、このようなニュアンスでした。

私は、高木先生の言ってることが正しいと思うので、牛尾さんのブログには賛同できません

まさに私のブログの内容の正反対の意見です。ただ、ここでも特に私自身を否定したり、私のアイデアを否定したりしているわけではなくて、「私は、このように違う意見を持っている」と表明しているだけです。ですので、まったく正反対の意見なのですが、私がこのようなコメントで心がつらくなることはありませんでした。意見が違う=相手を否定したいり、相手のアイデアを尊重しない とは違います。

先日同僚と意見が対立した時の話

先日私はあるアプリケーションのリリース作業を依頼されていて、作業していました。いろんな人にレビューをお願いして、もう大丈夫でマネージャに今日リリースするよという話をしました。私は同僚のあるコメントがあったのですが、正直重要じゃないと思ってコメントしてなかったのですが、そのままにするのは失礼かなぁと思って本人と話しをしてみました。すると自分が、「うっ」という展開になりました。

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牛尾:このコード、コメントアウト外してほしいということやねんけど、サンプルで応用的なサンプルも示しておきたかったんだけど、このケースだと、多くの人はそのサービスのアカウントがないから使えないと思うのでコメントアウトにして、実行時にエラーが出ないようにしているんだ。

同僚:なるほど、でも、自分の意見としては、自分が見て混乱したんだよ。これコメントやめて、ディレクトリわけたらええんちゃう?

牛尾:(今のタイミングでそれやると、死ねる、、、今日リリースやし、大したことないポイントやん、、、)Make sense やなぁ。ただ、ポイントとしては今日リリースしようとしていて(この時点で4時)これの変更を入れるとほかの言語のサンプルをすべて修正、そしてテストをしないといけないので振り出しに戻るような状態なんだ。ドキュメントにはしっかり記載しているよ

同僚:最後の最後で本当に申し訳ないんだけど、自分の意見では、混乱すると思うんだ。ただ、決めるのは君だし、自分の意見なんて全然無視していいよ。君次第さ。

牛尾:じゃあ、このプルリクエストは大きいのでいったんマージした後対応を考えるよ。レビューしてくれていつもありがとう

同僚:こちらこそ!

このケースだと、私的には相当つらい意見です。今までやってきたものが崩れ落ちるようなイメージです。ただ、彼のことを思い出すと、彼は普段からドキュメントを見ません。いろんな国から技術者が来るのでスタイルが本当にいろいろです。確かに彼のような習慣を持った人、つまり、ドキュメントをあまり読まず、コードを見るスタイルの人がいたら、コメントアウトされていたら確かに意味が分からないかもしれません。私はその日結局夜中の3時までその対応をしましてしんどかったですが、「心にぐさっ」というのはありませんでした。決定は自分次第で自分できめたことになるのですから。それは、始終「自分の否定」「自分のアイデアの否定」がないこと、そして、私の意見を「否定」していません。相手の意見を「尊重」しているのが、言葉だけではなく、態度からもにじみ出ています。

このように、かなり意見が違ったり、利害関係が異なっていても、「相手を否定しない」「相手のアイデアを否定しない」そして「自分の考えとして意見を言う」ということだけで、心が痛まないのでは?という小さな発見をしました。

否定をやめることで議論が効率化する

日本にいるときに、議論の際には「勝負」みたいな感覚がありました。反対意見を言うときは、言うほうも非常に言いにくいものでした。ただ、アメリカに来てからは議論で「心がつらくなる」瞬間がないので、議論自体は楽しいもの、助かるものと感じることが多いですし、反対意見を言うのになんの躊躇もなくなりました。つまり生産性がとってもいいわけです。これは気持ちがいいし、日本でもこうなるといいなと思ったポイントの一つでした。日本の職場でもチームでこういう文化にしていこうと決めて取り組んでいれば全然できちゃう話じゃないでしょうか?

私の会社がそうなった背景

ただ、昔からいた人に聞いてみると、私の会社も昔からこうだったわけでは無いようです。10年ぐらい前は嫌な人(toxic な人というらしいです)もいたみたいです。大きかったのは前のCEOがまだ現役の頃、社内で組織同士が対立していたとところ、組織同士が協力すると、よりCoolな仕事ができるとわかってきて、前のCEO主導で、みんなで協力していこう!という流れになって、その後評価制度も変わったようです。前は、チームがあると、チーム内で順序付けをして給料を配分みたいな感じだったので、ギスギスしていたらしいです。

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www.extremetech.com

今の評価制度に代わって人と「競争」がなくなったのが効いているようです。私が今の会社に入ってから同じ評価制度ですが、人と競争するというより、自分でゴールを設定して、それの達成で評価されまますし、人を助けたということでも評価されます。ですから、人との競争では全くなく「コラボレーション」を目指しているのが、現在の快適な職場環境をつくっているのかもしれません。

最終回、おわりに向けて

今回はこのブログの最終回です。正直前回のブログがバズって、普段スルーするところですが、バズりすぎて見てしまって、結構メンタルがやられました。正直自分の時間をかけて、自分が外資系に勤めて、アメリカに移住して体験したことや、気づいたことをシェアしているだけなのに、「批判」をうけてメンタルやられるのはあほらしい。と思いました。たくさんの「応援」もいただいているので、大変申し訳ないのですが、「ネガティブな空気から距離を置いて、やるべきことにフォーカスしよう」。と思ったのが切っ掛けです。

また、私も日本を離れて1年以上経っているので、日本の事情に関しても、最早よくわかっていないのかもしれません。今まで楽しみにしていただいていた方や、応援していただいた方、本当にありがとうございました。私はこのブログの記事が何か少しでも皆さんや日本が生産的になるためにちょっとでも貢献できたらうれしいなと思っていました。調査や二次情報ではなく、自分が実際に体験した事からくる気づきをシェアしていました。そして、毎回何か一つでも具体的に「実践できそうな」最初の一歩のアイデアをシェアしてきたつもりです。 f:id:simplearchitect:20200629130606p:plain

将来復活させるかもしれませんが、当面は、現在やっていることに集中して、自分の今の夢である「世界で通用する本物のプロのエンジニアになる」ということの達成を目指すつもりです。そうなれたら、また日本に少しでも貢献出来たらいいなと思っています。それまで、皆さんも人生をエンジョイされてくださいね!

このブログが何か一つでも皆さんのお役に立ちますように!