メソッド屋のブログ

米マイクロソフト DevOps エバンジェリスト 牛尾の日記です。ソフトウェア開発の上手なやり方を追求するのがライフワーク。本ブログは、個人の意見であり、所属会社とは関係がありません。

ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないかな

いつも通り、生産性に関するブログを書こうと思ったのですが、その過程で、ダイバーシティについて少し調査しようと ブログや本をチェックして、とても違和感を感じました。そこで自分の意見を整理するために、ブログを書いてみました。

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 私は単にインターナショナルチームのメンバーであるだけで、専門家でもなんでもないので、稚拙で誤った意見かもしれませんが、それでも何か書いておくと自分の整理と学び(プロセスの改善のプロフェッショナルとして)になるかと思い筆をとってみました。

自分の感じるダイバーシティの違和感

 私はインターナショナルチームで働いています。そして実際にその環境で働いていると、本当に楽しく快適に働けています。だから、その環境の素晴らしさと、その環境を日本でも実現する方法を考察するために、インターネットを調査してみました。

 Microsoftダイバーシティに非常に力をいれているので、必須教育でもダイバーシティの説明があったのですが、それは非常にためになる内容でとても楽しめました。

 ところが、Amazonの日本語書籍 や、インターネットの日本語サイトを見ていると、ダイバーシティというと、女性の権利がどうこうとか、マイノリティや外国人の受け入れのために云々という言葉が並んでいます。そこに凄く違和感を感じました。

 自分が何故、違和感を感じるかを考えてみると、「自分たちはマジョリティだけど、マイノリティを受け入れて、より生産性をあげよう」というノリを感じるからということに気づきました。

マジョリティ / マイノリティなど存在しない。

 インターナショナルチームで働いたり、そうでなくても、例えば、ロンドンに語学留学をしてみるとわかりますが、インターナショナルな環境だと、マジョリティなどないし、常識などないのです。日本人は、開始時間に厳しいですが、国によっては、「遅刻しないと失礼。時間どうりのほうが失礼」という国もあります。

 我々はいろんなものに知らず知らず「常識」をもっていて、勝手な価値観で「これぐらいは人として当然」思っています。これはある意味仕方がない事ですが、「すべての事が多様で違いがある事が当然」と考えることが重要だと思います。すべての人が、世界のコミュニティの「一部」にすぎず、マジョリティなどいません。

 それは国籍の違い、人種、性別の違いだけではありません。人間は、すべての要素が違っていて当然という前提で考える事がダイバーシティのポイントじゃないでしょうか?

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In Propinquity: Diversityより

マイノリティの告白 ADHDである人生を生きる事

 自分にとって、ダイバーシティが当然のごとく受け入れられているインターナショナルチームの環境は本当に楽しいです。何故かというと、どんな人でも受け入れられて、「自分以外の何か」になる事を要求されないからです。

 私は、日本に帰ってくると「マイノリティ」です。私は医師にも診断された注意欠陥症候群(ADHD)という特性を持っています。 原因は不明ですが、現在では前頭葉が不活性で、短期記憶が少ないため、集中力が続かなかったり、自分に興味がないことが一切できないため、記憶力が乏しく、例えば銀行振込、事務処理、片付け、調整作業などが大変苦手です。また、集中力がないため、何をやっても、完成しません。だから自尊心はズタズタで、自分はなんてダメなんだろうといつも思っていました。

 人の心をおもんばかることも苦手です。なぜなら作業がいつもバタバタで、そんな余裕がないからです。それがさらに自分の自尊心をズタズタにしてきました。

 日本だと普通の人は「大人ならそれぐらいできて当然」と思われることが、全然できません。実際にやろうとすると人の3倍ぐらいかかるし、できても普通の人より雑だったりします。そういう人は日本の社会では、「いいかげんで、だらしない人」というクラスターになるので、社会生活が非常に辛いものになります。

 だから、私は「作業」を「完成」させないといけない20代は全く活躍できず、「思考力」や「発想力」が重要になってくる30代以降はなんとか仕事ができるようになりました。しかし、最終的に自分で会社をやっていたのは、会社で「社会人としてこうなるべき」というストレスに耐えられなかったのかもしれません。

リタリンを服用した時の衝撃

 私の転機はあるインターネットの記事で、「自分がADHDである」という事がわかったことです。

実際に専門医師の元に行き、診断を受けて、リタリンという処方された薬を飲んだ時の衝撃は今でも忘れられません。部屋や机が生まれてから片付いた事がありませんでしたが、薬を飲んだら、なんと、自分が知らず知らずに片付けているのです。机の線に、置いているものの線がずれていると気になりました。

ヴォーカルをやっていましたが、今までできなかったコーラスを耳コピするのも一瞬でできました。

 「ああ、これが、普通のいや、集中力がある人の気持ちなのだな」と思いました。こういう人からすると、私は相当いい加減にしかみえないでしょう。「なんで、こんな簡単な事ができないんだ?やる気がないからだろう」と。

 しかし、同時にこうも思いました。薬を飲む程のことで、こんなに違うんだ。「自分がいい加減なのでもなく、ダメなわけでもないんだ。」この事がわかってから、自分ができない事を諦める事を覚えました。だから自分への罪悪感みたいなものも少なくなりました。私は多分生来的にポジティブな性格だったと思うのですが、自分自身を傷つけてきたため、当時はネガティブな性格でしたが、今は相当ポジティブだと思います。:)

しかも、ADHDには先に書いた様なマイナスがありますが、人が見つけにくい関連を発見しやすかったり、発想力があるといういい特徴もあるようです。

しかし、日本の社会で、生きていると、そういったいわゆる「大人の行動」をする必要があるので、様々な手法で、ADHDの症状を軽減するために 努力してきました。リタリンの効きは最高でしたが、薬なので徐々に効きが悪くなってきました。

 ところが、「整理力がある状態」というのを「認識」できたので、それだけでも以前と相当違う感じになってきました。 その後、私が有効だった方法を共有しておくと、Lumosity という脳トレのようなゲームで、短期記憶を徹底的に鍛えるようにする と、ゲームを継続してやっているとかなり症状が軽減できました。

 最近知ったのですが、「オメガ3」のサプリメントを飲むと、私のような短期記憶に問題のある人には非常に有効なようで、 かなり作業ができるようになってきました。それはワーキングメモリという参考文献に乗っていたのでそれをそのままやってみました。他にもランニングなども効果がある様です。

Lumosity (ルモシティ) - 脳トレ|あなたの脳の可能性を見つけましょう - Lumosity

item.rakuten.co.jp

books.rakuten.co.jp

 脱線しましたが、正直にお話すると、私は日本社会で常に生きづらさを感じていたのです。そして、日本社会で生きて行く限り、上記のような 「自分が自分以外になる」という行動が求められるのです。

インターナショナルチームは居心地が最高

 久しぶりに「会社勤め」を始めた先は、Microsoftのインターナショナルチーム。英語での仕事は生まれて初めてでした。 相当ストレスフルなはずですが、私自身は、非常に居心地が良いと感じていました。

 自分が苦手なはずの事務処理系の仕事ですが、チームでも平均すると私の方がちゃんとできるぐらいの勢いです。みんなが得意なことも苦手なこともバラバラです。会議に真面目に出る人もいればほぼでない人もいます。それでも誰れも何もいいませんし、減点される雰囲気もありません。

 私がいろいろ忘れて何回か同じ事を上司のDamienに聞いても、彼は喜んで教えてくれます。

 ネイティブの英語スピーカーと喋るときも、私や同僚が理解できてなくても、英語勉強不足とか言い出す人はいません。言葉が通じないのが前提なので色んな手を使って「コミュニケーション」を達成しようと、こちらも、向こうも頑張るからです。

 日本では「ダメ人間」の烙印のADHDも、文化も、年齢も、国も、考え方も、得意分野もすべて違う人が集まってるのが前提なのでそれが「違う」とすら 認識しません。だから、「君はこうあるべき」「君はこうすべき」などと言われた事がありません。

 例えば、Drew に対して DevOps インタビューという記事を英語で書くのが大変な時に相談したら、彼は英語力を上げるアドバイスをするのではなく、「お金を払って誰かにやってもらえるように調整しよう」といったアドバイスをくれました。

 他の人も同じですが「自分を変える、鍛えて違うものになる」ことをアドバイスされることがありません。仕事も、ごく少ない仕事以外は、できなければやらなくてよくて、それをだれもととやかくいいません。早く帰っても誰れもなにもいいません。

 いい仕事ができてみんなにシェアしたら、みんな「おめでとう!」って褒めてくれます。そして、他の人がうまくいったら自分もうれしくなって「おめでとう!」といいます。仕事をしていても、基本KPIで定められた仕事を達成する方法を自分で考えるので、他の人から頼まれることは、基本「すべきこと」ではなくて、「助けてあげている」ということになります。だから断っても誰れもそれでとやかく言われることもありませんし、助けてあげたら、とても喜んでくれます。

 ここで自分は生まれて初めて、「自分が受け入れてもらえている」感を受けました。

イギリスで友達の家に泊まった時の事

 先日休暇で久々にイギリスに行ってきました。そこで友達の家に泊めてもらったのですが、その友達の彼氏のお宅でした。友達に私のADHDの事を話すと、友達は「あーわたしもそうかもしれない」といいました。彼氏がやってきて、そのことをシェアすると彼は

ADHDってもっと凄いよ。君たちは全然ちゃうから」

あー、そうか、自分は日本ではそうだけど、(ダイバーシティが当然な)イギリスだと、ADHDですらないのか、、、と実感しました。日本では息苦しいかもしれないけど、世界にでたら、自分の「差異」なんてないに等しいんだなと。

ダイバーシティが産む生産性

 ちょっと横道にそれましたが、ダイバーシティのある環境では、「人と、人はすべての面において違っていて当然」人とコミュニケーションする時も「つたわらなくて当然」が前提になりましす。誰も、「前にいったよね?」とか、「メールで送ったのに見てないの?」とか言われません。

ましてや、「大人なんだから、察しないとね」とかいうことも存在しません。同調圧力とか何それ?という感じです。

 年齢や、職種、職位によって、「えらい・えらくない」という感覚もなく、全くのフラットな感じです。単なるロールの違いです。みんな違うから、違いを尊重して、自分ができることをやって、自分ができないことを人に助けてもらうそのような感覚になります。

 つまり、人と、人の間に共通点が全く、母国語も違うので、コミュニケーション自体が難しいので、コミュニケーションに前提がなく、明確で、単純です。いろんな事を「深読み」とかしなくてもよくて、失礼にあたるとか、めんどくさいことも考える必要もなく、向こうが表現したことをそのまま受け取ってコミュニケーションをすればいいのです。

 また、コミュニケーションが元来難しいものという前提なので、すべての決定がロジカルです。誰もが合意できる「ロジック」という共通言語がないと、誰も納得感ある状態が作れないからなのかもしれません。だから、日本のように「政治」や「寝業」とかの入り込む隙がなく、誰もが納得感のある「ロジック」で物事が進むので、日本にいるときより、圧倒的に納得感があるのです。

 日本では、「空気を読む」ことや、言葉の意味がそのままとは限らないので、何かを推進しようとしたら、正攻法では難しくて、じっと我慢してランクを上げるか、力を持った人に接触するなど本来の業務的な能力以外の能力がないと難しいので、そういうのが得意な人が力を持つことも多くありますが、インターナショナルチームでは、そんな人はいません。ロジックで物事が進み、めんどくさいことがないので、そこに力を使う必要がありません。

自分の専門分野に注力して、腕を磨けばいいのです。マネージャはマネジメントを、プログラマはプログラミングを。そして、そういう専門的なことがしっかりできる人が尊敬されます。    日本では重要な「おもんばかる」ということも必要ありません。みんな基本的に、チームではありますが、一人一人が独立を基本として明確に数値で定義されたKPIを持ってそれの実行を求められているだけなので、それ以外のことは要求されません。「これぐらいはやって当然だろう」という暗黙の話などもありません。おもんばかるに近いのですが日本人の「相手を優先し思いやる」という感覚はある意味美しいのですが、仕事においては鏡の法則が発動され、「これぐらいやってくれて当然」という空気を作ってしまうこともよくあります。そういう変な「深読み」は必要ありませんのでシンプルです。

実力主義の意味

 日本で「実力主義」というと、凄い数字で縛られてしんどいイメージがありますが、インターナショナルチームにいるとそういうイメージではありません。

KPIは楽に達成できる納得感のある数値になっています。評価は、仕事の成果や実力の反映されるKPIで評価されます。「政治」は一切する必要がありません。

だから技術チームのマネージャなのに、技術の話をしても通じない人やBossyな人や今時マイクロマネージメントな人なども今のところあったことがありません。(多分マネジメントを勉強していない無能な人ということでクビになるのかと思います。)

 だから、実力主義といっても、普通に積み重ねて努力している人には何も恐れることはない環境なのです。普通に努力していれば、普通に評価されるフェアな世界で、やり方の違いとか、考え方の違いとか、そういうのは違っていて当然なので、だれもとやかくいいません。

 また、「クオリティ」は求められますが「挑戦」には開いています。だから何かにチャレンジした時に失敗したからどうこうというのは一切ありません。誰でも平等にチャレンジできますが、「基準」に到達していなければ、誰でも合格はしません。例えば、何歳までとかよくわからない基準はないので、何回でもチャレンジできますし、自分に不足しているものがあれば、例えば大学にいって学んでくれば単純に「基準」に達成できる感じなので不公平感はありません。そこに達成するのに、どの程度早いか、遅いかとかも、特に気にされません。シンプルな世界です。

 私はそういうところが気に入っているのかもしれません。だから、「人はこうであるべき!」と思いが強い人にとっては、とてもストレスフルな環境かもしれません。

ダイバーシティが 楽しく生産的な職場を産む

 私はこのダイバーシティが当然である職場の楽しさを伝えたいと思ってこのブログを書きました。誰れも自分が「マイノリティ」だとも「受け入れられない」とも感じないこの快適さを。そして、フェアな環境で、純粋に「仕事を楽しんで、自分の成果を出す」ことを求めれる環境を。

 様々な統計が、ダイバーシティあるチームが生産性が高いことを示しています。私はなぜだか知りませんが、単一の集団だけだと、同じ様な特性があるから、弱点をカバーし合えないからでしょうか?私はまったくその辺の知識がありませんし、自分の勝手な想像でしかない浅はかな考えですが「人のコミュニケーションは難しい」からではないでしょうか?

 どうしても同一グループだと「常識」や「伝わって当然」という「暗黙の想定」があります。それが、ダイバーシティのある環境だとその根底が崩れ、全員が、「常識や暗黙の了解はない」という世界でわかりやすく、伝わるまで、シンプルにコミュニケーションしようと頑張ります。そして、誰れもがわかる「ロジック」で共通認識をもち、思考をします。ダイバーシティある環境では、私は「社会人失格」ではなく、「発想力のある人」として、チームに貢献することが出来ています。

 単一の集団と思い込んでいる人々も、本来は、伝わったと思っても、本当は伝わっていないのではないでしょうか?それは難しいことなのではないでしょうか? だから、ダイバーシティの環境でそれが崩れることで、本来の「効率的なコミュニケーション」について必死で考えて実践するから、生産性が向上するのではないでしょうか?

 私はダイバーシティが当然の社会が日本にも来てほしいと思っています。いつになるかはわかりませんが、誰も「変わってる」とか、「外国人」とか言われることのない社会に。

 マーチンルーサーキングの言った世界、それ以上の世界が、ロンドンには存在しました。その様な世界では、みんなが「同じであること」に気を使う世界ではなく「違うことを尊重する」ということに気を使う世界です。アメリカでも、その感覚は相当に進んでいる様に感じます。私の大好きなgleeというTVドラマを見ていてもそれを感じます。

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 きっと日本が移民を受け入れたら少しづつ変わってくるのでしょうか?それとも、グローバルな仕事をしている会社がそういう世界を少しづつ変えていってくれるのでしょうか?

 自分は、このダイバーシティの楽しさをみんなに伝えることで、少しでも貢献したいと思っています。自分がそうなってほしいから。