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メソッド屋のブログ

米マイクロソフト DevOps エバンジェリスト 牛尾の日記です。ソフトウェア開発の上手なやり方を追求するのがライフワーク。本ブログは、個人の意見であり、所属会社とは関係がありません。

「Be Lazy」を極めるためには残業をしてはいけない

「Be Lazy」というのは、日本側の上司にあたる Drew がいつも口にしている言葉だ。その意味合いは、「最小の工数で、最大のインパクトを出す」 という考え方だ。私もアジャイルやリーンを学んできたので、「大量のものを高速に作れること」はむしろ悪であり、いかに「作らなくていいか」を考えてインパクトの出るものにエネルギーをフォーカスするのが重要と思っている。

 しかし、正直に言うと、それは、日本人の感覚からいうと最も縁遠い感覚だ。私がなぜ「Be Lazy」を極めたいと思っているか?というと、インターナショナル チームの同僚は仕事で成果をガッツリ出すのも尊敬に値するが、仕事をしている様子も実に楽しそうだ。誰も苦しそうだったり、我慢したりしていない。

 仕事は楽しむものと言っていて、「我慢するべきもの」という日本側の空気とは相当違う。私は自分も人生や仕事を楽しみたいし、多くの人がそうなったらいいのにな!と思うので、その謎を解明したいのだ。

私は今もBe Lazy」を身につけるため試行錯誤しているが、気づいた内容をシェアしていきたい。

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Be Lazy 思考を感じた出来事

 少し前のエントリで、「日本と米国で異なる「想定する物量」がソフトウェア開発の生産性の違いを生む」というエントリを書いた。ここで、海外の人は、すごく沢山の仕事をこなしているわけではなく、そもそもこなしている物量が少ないという話を書いた。  インターナショナルチームで仕事をするときは、同じ仕事をするにしても、日本と比べて物量が圧倒的に少ない。レポートもそうだし、報告会もそうだそもそも、報告会自体あったっけ?という感じだ。

simplearchitect.hatenablog.com

 この前も「Be Lazy」思考の良い事例があった。あるお客様のところで、私の専門外のハンズオンを英語で実施することになった。私はDrewに依頼して、ハンズオンを実施してくれる人を探した。どうやらオーストラリアかどこかにいている人がやってくれるということになった。  彼は私がリクエストをすると、さっとハンズオンの大枠を決めてくれて、ハンズオンの素晴らしいマテリアルを提供するよと行ってきた。その後、彼は「たった半日のために日本に来れない」という話になったので、私はその「素晴らしい」マテリアルをくれ無いか?と言った。私は「さぞかし素晴らしいパワーポイントが送られてくるんだろう」と思ったのだが、実際送られてきたのは、誰でも読める、AzureのWebサイトにあるハンズオンのURLだった。

 きっと日本人だったら、ハンズオンのしっかりしたパワーポイントを作って、事前にGitHub にサンプルを作って上げて、、、とかやってしまいそうだが 彼がやったことは、メールを1本書いただけだ。多分ハンズオンも彼が作ったものですらないだろう。

 同時に彼のものでは無いが、神と呼ばれる素晴らしい技術力を持った同僚の佐藤さんがより素晴らしいHoLのURLを教えてくれた。それをそのままお客様にお伝えすると、お客様はすごく喜んでいた。「内容も素晴らしいし、これをいただけたら、事前にみんなにシェアできる!」

 今回のお客様はかなりインターナショナルなお客様なので、日本人的な感覚が無いからだと思われるが、これこそ、Be Lazy な仕事のやり方だと思う。

丁寧な仕事がさらなる無駄を生成する

もし、私がそのチュートリアルを見ながら解説を加えて、パワーポイントを作り、、、ということをしていたら私の工数が大量にかかっただけではなく、お客様も直前にならないと、パワーポイントを入手できないので事前にみんなにシェア出来なかっただろう。しかも、上記であげたURLは、沢山のハンズオンが載っているので、簡単で退屈ならAdvanceなものも実施できる。パワーポイント化していたら、そこまでは手が回らないだろう。それどころか、Azure がバージョンアップしたら、そのパワポを修正する工数が発生してしまう。これは相当無駄だ。

 私を含めた日本人は、どうしても「献上先」の工数を削減しようと頑張って、自分たちが時間をかけて頑張る傾向にある。しかし、それは、本当に「価値」を向上させているアクティビティだろうか?

日本人での Be Lazy 事例

 こういうのはお客様が特殊だからできることだろう?と思うかもしれ無いが、私は前々職の大手SIerに所属しているときに完璧にこの思考を持った人がいた。 彼は、本当に優秀なのだが、ガチで17時に帰って、飲みに行くのだ。残業はよっぽどのことが無い限りしない。しかし、私は彼が仕事は人3倍ぐらいこなしているように感じた。そして、彼がプロジェクトをやって炎上させたのを見たことがない。ウォータフォールなのに。私はアジャイラーだが、彼ならウォータフォールをやっててもなんの文句も言えない。完璧だ。必要が無い。

 彼がそうできる理由は「多分むっちゃ優秀なんやろうな」と思っていた。私は最近になってようやく手がかりが見えた気がしてきた。

そんなときふと気がついた。そういえば、Drew もまったく残業しない。もしかして、、、

残業が生産性を破壊している

「Be Lazy を実践したければ残業をしてはいけないのではないだろうか?」という仮説が頭に浮かんだ。私たち日本人だと、「Be Lazy」のコンセプトを素晴らしく感じて、一度は残業はし無いようにしようと思うとする。しかし、17時の時点になって、自分が思った仕事ができていなければ、「今日のバリューが出ていないので、それが終わるまではやり遂げて帰ろう」と思う人が多いと思う。私は少なくともそうだった。

 私は過去にもこういうトライをしてみて、何回も結局残業している。「私は効率が悪いので仕方が無い。」と思っていた。結局ズルズルと、残業、休日での作業をガッツリしてしまうことになって元に戻るというのを繰り返してきた。

 これを、もし、定時が17時なら、17時に帰ろうとすると、どうなるだろう?と考えると、17時でバチっと終ざるを得なければ、現状だと多分17時にはすごく中途半端に仕事が残るだろう。しかし、これで安易に残業するのは良く無い。残業をしてこなせてしまったら、「やっぱり俺は効率悪いなー。」で終了する。つまり、本当の問題を隠してしまうのだ。

強制的に定時に帰ることが生み出す効果

 強制的に、17時に帰るとして、家に帰っても仕事をし無いと決めてみるとどうなるかというと、相当気持ち悪い気分で変えることになる。次の日もまた想定したよりもバリューが出ない。するとどうなるかというと、「工夫」を始めるのだ。

 よくよく考えたら、自分は会社に出てから、やろうと思った作業にフォーカスしているか?というとそこまで集中していないし、余分なことも随分やっていることに気づく。時間を固定して今日こそ想定したバリューを時間内に出そう!とガチで考えるようになる。物量ではなく、バリューなら時間内で出来るはず、もしくは、自分のバリューに対する見積もりが甘いことになる。残業や休日の安易な作業は、そういう点を覆い隠してしまって、問題が発覚しない。そしたら、次も安易に残業、休日でカバーする。それでは、いつまでたっても、定時に帰るなど出来るはずがないのだ。

先にすべきは「定時に帰り始める」ことだったのだ。私たちは、どうやったら最小の工数でバリューを最大化出来るのだろうか?

「努力」ではなく「楽にできる仕組みづくり」

そう考えて、「文化の違い」を理解すべく話題の厚切りジェィソン氏の本を読んでみたりした。彼の考えはすごく腹落ちする。違和感が無い。そのいろんな考えの中でも素晴らしいいものがあった。彼が何かを身に付けたい時は、絶対に出来る程度の簡単さにして継続するというテクニックだった。例えば、大抵の人は単語を覚える時に、毎日一時間やりとげようと大きな努力目標を掲げる。ところがそれは続かない。だから、もっと、楽勝でできるレベルに落とし込む。  例えば、5分でいいから毎日単語を覚えるなどだ。こういう0.1%向上させるちょっとした努力を続けていると、1年では、44%スキルアップする。

books.rakuten.co.jp

 私を含む日本人は、大抵「努力、頑張る」に持っていく傾向がある。しかし、彼らと付き合っていると、「努力」とか「頑張る」とかいうのがなく「楽しむ」とか「幸せになる」「ロジカル」ということしか頭に無い感がある。よくよく考えると、努力とか、頑張るということは、美しいけど、無理をしていることを意味する。

Be Lazy の具体的実践方法と考え方

 もちろん、私は当初想定のバリューが達成できず、すごく居心地が悪い気分になっているが、上記の気づきにある程度の確信があったので、定時帰りを継続していた。 そうした時に、尊敬する同僚の大田さんと、「Be Lazy」に関するディスカッションをした。その時彼が私に教えてくれた本が決定的だった。

「エッセンシャル思考 最小の時間で成果を最大にする」という書籍だ。この本は、まさにどうやって「Be Lazy」を実践するかの答えと意義を教えてくれる素晴らしい名著だった。是非みなさんも手にとっていただきたいのだが、大きなポイントは次の通りだ。

  • 大抵のタスクはノイズ。本当に実施すべきものは本当に少ない。
  • 自分にとって重要なことを考えて、今、本当にすべき仕事を1つだけ選んで実施する。
  • 他人のではなく、自分の人生を生きる。それを明確にして、依頼を断る。

books.rakuten.co.jp

 書籍は素晴らしく、是非読んでもらいたいので、これ以上はかかないが、これだけでも相当なバリューが出るようになるはずだ。結局価値の高い仕事は物量をこなすことでは無い。こなすことが少ないから、価値の高い仕事に集中してできるのだ。何故なら大抵のタスクはノイズにすぎないから。

 そういえば、私の前々職の上司も、しょっちゅう仕事を断っていた。しかし、受けた仕事は黄金の輝きを放つぐらいにうまくやっていた。しかも、定時帰りで。

Be Lazy の文化を育てる

 この本を教えてくれた大田さんと、「Be Lazy」についてディスカッションしたときに、お互いの、もしくは、同僚の素晴らしい「Be Lazy」事例を交換しあって、「すごいな、素晴らしいな!」と感心し合った。

 きっとこの会話を聞いたら、眉をしかめる人もいるかもしれない。努力や頑張りの匂いがゼロで楽をしているように感じるからだ。でも楽をすることは本当に素晴らしいことで、それが、生産性を高めて、インパクトあることに注力できることになる。スラック(余裕)が生まれるから変化にも対応できる。

 時間ではなく、インパクトについて一生懸命考えるので、だらだらと今のやり方をやるより、ずっと真剣にバリューを考えるようになる… などいいことづくめだ。

 この方法は、USの人々の方が、日本よりずっと文化的に導入が楽なのだろう。だから、私のインターナショナルチームの同僚はほぼこういう考え方をしていることに気づく。

日本の価値観と、Be Lazy のコンフリクト

 日本だと、このやり方が賞賛される職場はまだ少ない気がする。残業をしている同僚を横目に変えるのも気がひけるだろう。でも負けてはいけない。 もし、できたとしても日本人だったら、 Be Lazy を実施して、少ない工数で、インパクトが出せるようになったら、さらに残業したらもっと成果が出せると思うかもしれない。残念ながらそうではない。無理をするのは、結局「安定しない」し「リスク」が高い。人々が健康で、楽しんで仕事をするのが最も生産性が高いし、持続可能性が高い。

 どうも、日本だと、プロジェクトのストーリも「楽」にできたものは賞賛されず、根性とか、超人的な努力で達成したものの方がもてはやされる。  頑張った方がもてはやされるが、実際は、すごいバリューのあることを「楽に」できるような仕組みと工夫を無理なく、一歩一歩重ねる方が、中長期的にみるとよっぽど生産的だと思う。少なくともロジカルだ。

 私はどうも昔から気になっていることがある。歴史的に日本は最初は相手を圧倒するのだが、だんだん息切れして、そのうち逆転されてしまう。という展開が昔からすごく多い気がする。本来日本人は優秀な人が多いと思うのだ。ほんまちょっとした考え方で相当損をしている気がする。

おわりに

 私はこのやり方をしばらく続けて、Drew に「お前も Be Lazyがうまくなったな!」と言ってもらえるように自分も楽しんでみたい。幸い私の職場はこういうことには理解がある。もし、そうでない環境の方も、私の前々職の上司の例もあるので、トライしてみてはいかがだろうか?あなたが上司ならこういう考えを気に入ってもらえたら広めてみたらどうだろうか?

 彼はしょっちゅう仕事を断っていたが、みんなは素晴らしい仕事っぷりに誰も文句をいうどころか尊敬していた。でも、その秘密はきっと「Be Lazy」の思考を彼がマスターしていたからではないか?と思う。多くの物量の仕事をこなしていたら価値の高くインパクトのある仕事はできないのだ。

それよりももっと重要なことは、他人の目よりも、自分の幸せ、そして、自分がお客さんにとっていい仕事をすることが自分にとっては重要だ。だから継続して仮説検証をつづけていきたい。