メソッド屋のブログ

米マイクロソフト Software Development Engineer 牛尾の日記です。ソフトウェア開発の上手なやり方を追求するのがライフワーク。本ブログは、個人の意見であり、所属会社とは関係がありません。

自分で人生を決めるマインドセットが、生産性と、仕事の楽しさをもたらす

今回は、前回のブログの内容をより考えてみたいと思う。

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「自分で人生を決める」人は、他人に対して「すべき」がない

前回のブログの主張は、「自分で人生を決めない」マインドセットが、新しい考えや技術導入を遅らせるというアイデアだった。今回はさらに、「自分で人生を決める」マインドセットをもっていると、どういう効果があるのかを考えてみたい。

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「自分で人生を決める」というマインドセットを持っていると、「自分のことは自分で決める」という考えになる。心理学で鏡の法則というのがある。自分に適用している考えを他人にも適用するという法則だ。「自分のことは自分で決める」人は、「他人のことは他人が決める」という考え方になる。新しいアイデアや技術の導入スピードにはこれがとても効いている気がする。  逆に自分の人生が自分でコントロールできないと思っている人は、他人も他人がコントロールできないと考える。つまり、自分だけではなく、他人も他の何かに従うべきと考えるようになる。

インターナショナルチームで働いる時に感じることの一つは、人に「こうすべき」と言われることが全くないことだ。

 もうすぐ期限の経費精算とか、必ずやることになっているものでもそうだ。例えばビジネスレポートの期限が迫っていて、私が忘れてた時ですら、「期限だから、入力してくれないだろうか?」ぐらいの口調で上司がリマインドしてくれる。  それぐらい、ほかに人にどうしろ、こうしろと言われることは本当にないのだ。もし、そうしなかったら、自分の評価が下がるだけだ。やるか、やらないかは私次第。人に「やらされる」ではないのだ。大人だから自分で決めて、判断しようという考えだ。

「本当に思った事」を言うエネルギー量の違い

今回ブログを書いて気づいたことだが、何か「意見を言う」ことの負荷が、インターナショナル環境と、日本では全然違うことに気が付いた。インターナショナル環境だと、「自分の人生に責任を持つ」マインドセットだから、私が同じような意見を書いたところで、たとえ多くの人と考えが違っていても、「あー、君はそう考えるのね」というノリだし、そうでない考えの人は自分でブログを書いて、「私はこう考える」ポストをする。  もちろん、そのアイデアに対してさらに自分がブログを書くか否かは私次第ということになるので、書いてもいいし、書かなくてもいい。だから相当気軽にアイデアをシェアできる。

 ところが、日本で同じことをやると、そうもいかないようだ。今回のことでも、様々な方面から、「あなたはこうすべきだった」「フォローアップブログを書くべきだ」「きみのせいで、ほかの人が困る」「人の気持ちに気を配るべきだ」・・・。これは、人の考え方だし、文化に対して何かを言うつもりはない。ただし、メソッド屋として「新技術やアイデアの導入スピード」ということのみを考えると、これは相当問題だ。私の意見が正しいと私が思い込んでいるいう意味では取らないでほしいが、例えば、天動説が主流の頃に、自分はそう思うということで、地動説を唱えると、人は大きなショックを受けるかもしれない。天動説で商売をしている人は大きな打撃を受けて困るだろう。あなたの顧客には天動説の人もいるかもしれない。でも、それに遠慮をして、本当に自分が思う意見を言わないほうがいいだろうか?もちろん、あっているかどうかはわからないが、それを言えないとなると、相当いろんなものが歪んでしまう気がする。

 日本では、そういったことに、いろいろ気を使って、何かをしなければならなくて、尚且つ、何かやった後も人々の要請があったり、「こうすべき」という意見があれば、それを実行しないといけないとすると、相当な負担だ。つまり、「めんどうくさい」のだ。

自分の意見をいうことに、ハラキリの覚悟は不用

 だから、日本式でいくと、こういうセンシティブなブログは、書かないほうがめんどくさくなくていいし、多くの他の人と違う意見を書くときはハラキリレベルの相当な覚悟をもって言わないといけない。これは、相当なエネルギーロスじゃないだろうか? だから、多くの人は本当は思っていることでも、「あとで面倒なことになるから、言わないでおこう」ということになるだろう。実際、今回私もブログを辞めようかとも思った。だってしんどいし、めんどくさいんだもん。

 それよりも、単なる意見なのだから、「自分はこう思うよ」でよいと思う。気楽に言えたほうがよっぽどディスカッションみたいなものは気軽に、簡単にいかないだろうか?

 そうでなければ、本当は心に思っていることが多いことでもみんな自粛して「言わないほうが得策」みたいな流れになってしまい、意見も「トレードオフがあるのでケースバイケース」みたいな聞き分けのいい話にしかならなくなる。

インターナショナルチームのディスカッションは楽

 インターナショナルチームでディスカッションしていつも思うが、ディスカッションが本当に楽だ。自分が思っていることを単純に言えばいいだけだし、「気をつかう」なんてことは不用だ。純粋に思っていることを言うだけで、そこに、気をつかわなくていいし、「言ったからには・・・」といった変な責任が発生するわけでもない。  ダイバーシティが前提で、人がひとりひとりまったく違っていて当然という考え方だから、他の人の意見に対して「私はこう思う」というコメントはあるが、「お前は間違っている!こうすべき」みたいなことは無い。だから、ディスカッションも余計な要素がなくてとてもスムースに終了する。 もちろん「偉い人」なんて存在しないから、お伺いを立てたりすることも不用だ。

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Agile Rootsでの出来事

 ここで、私も印象深かった、Agile Roots 2014での出来事をご紹介したい。Jeff Pattonという著名なアジャイルコーチが開催するワークショップに参加していた時の事。

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そこにメアリー・ポペンディークという著名人が一緒にワークショップを受けていた。ジェフが、Scrumの世界で有名な「鶏と豚がレストランを開くたとえ話」を始めたときに、メアリーは立ち上がってシャウトした。メアリーはこのたとえ話が大嫌いなようだ。

ジェフ。君がこのたとえばなしをするなら、私はこの場を出ていく!

そういって、彼女は実際に会場を出て行った。ジェフは、何もなかったように講義を続けて、数十分後にメアリーは帰ってきて引き続き彼のワークショップに参加した。 ワークショップに参加したあと、メアリーはジェフに「君のワークショップとてもいいね!」と楽しく談笑し、褒めていた。

 私はその姿を見て当時はすごくびっくりしたのだが、「意見の違い」なんてものはそんな程度のもので、そこに余計なものがいろいろはいるのがややこしいのだな。というのを学んだ。違う考えがある。時に腹も立つ。だからといって、ジェフに対してどうこうしろというのではなく、自分がしたいから自分が出ていく。それで終わり。何のわだかまりもない。

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他の例でも、海外のカンファレンスにいくと、参加者の人が、しょっちゅう席を立って退出する。日本だとよっぽど面白くないセッションでもない限りスピーカーに気を使って、立たないことが多い。しかし、向こうだと「自分がほかのを見たかったら」他のを見に行くし、スピーカーも、退出する人をみてショックだとかは特に思わない。自分次第。

「自分の人生を自分で決めない」マインドセットから生まれる、自分以外のものに対する「こうすべき」という考え方は、もちろん良し悪しだが、新技術の導入や、新しいアイデアの導入に関しては、相当なマイナスをもたらす。自分が何かしようと思った時に、いろんな角度から、「ああすべき」「君は間違ってる」「それは認められない」など凄い反発がやってくる。

「大人」という考え方の相違点

今回ある人がこんなコメントをくれて非常に興味深かったのでシェアしたい。彼は日本と、インターナショナルの混在環境で働いている。彼はこう言っていた。

西洋では「自分の人生や幸せを自分で責任を持ちコントロールする人」が大人という認識で、日本だと「我慢するのが大人」という文化のコンフリクトがあって困っている

なるほど!面白いと思った。私は生産性が良いし、自分が楽しいので前者を選択する。今は世界の文化を体感することのできる時代だし、自分がいいなと思うのを取りいれることができるので楽しい時代だ。 今回、2本のブログが読まれてたくさんの賛否両論があった。正直相当疲れてダメージも大きかった。そんなポストをしていたら、なんとロッシェルさんが私にコメントをくれた。

ブログを書くのは、ほかのクリエーティブな活動と同様です。In the moodだったら楽だが、そうじゃないと負担です。そのため、書きたいムードじゃない時に書かなくてもいい。そして書きたいムードになったら、書いてください。書くことによってハッピーになるのは第一です

自分は自分の人生をコントロールするマインドセットだと思っていたが、彼女のコメントは、凄く興味深いと思った。一番重要なのは本人が「ハッピー」かどうかという観点だ。ダメージを受けている時点で自分もまだまだ。私もそっちのマインドセットのほうが自分的に好きなので、更にそっちに慣れるように楽しんでみよう。でも一番は、それをして「自分がハッピー」と言えるかが重要なのだろう!

日本の新技術導入のめんどくささ

ふと、思い返したのだが、自分が、2001年にその後、アジャイルを初めて、エンプラな環境でも実施するために当時やったことを振り返るとこんな感じだった。

  • 小さなアジャイル案件を作るために、自分で営業して、自分でコードを書いた
  • アジャイルのコミュニティを社内でつくったり、社外のコミュニティの運営に参加した
  • 内外でプレゼンテーションを実施して、仲間を集めた
  • 大きな規模のアジャイル案件を実施するため、RFPの段階から参加して顧客にメリットを説明した
  • その案件でアジャイルを実施するために、請負契約でアジャイルを実施する契約方法を考案して実施した
  • その案件でアジャイルを実施するために、WF型の品質管理方式に対応するために、品質部門の人とディスカッションしてアジャイルでもまわるようにした
  • アジャイルで必要な「テスト駆動開発」をするためには、OOPが必要だが、OOPができる人が当時少なかった。だから、OOPが誰でも理解できるようなメソッドを作った。
  • 実際にアジャイルができる人をプロジェクトのメンバーに加えた。他のメンバーも教育した。
  • 平鍋さんを呼んできてコーチをしてもらった。そのためにいろいろ説得した。
  • アジャイルを実施すると、「要求」の部分がスムースにいかないことが多く、要求開発手法を学び実践した(当時プロダクトオーナという概念はまだなかった)
  • いろいろなステークホルダ、上司、さらに上の上司と話を話をして、アジャイルプロジェクトがつぶされないように、交渉した
  • お客様経由でマスコミに取り上げてもらって、より動きやすくした   :その後につづく、、、、

たかだか、新しいやり方を導入するだけでなんでこんなめんどくさいことをしないといけないのだろうか?私は新しくて効率のよさそうなやり方があるので、それを実施したかっただけだ。普段「やろうと思えばできるよ」と軽く言っているが、今と違って最初の頃にそれをやるときはこれぐらいめんどくさかった。  今回インターナショナルチームに参加して、他国の様子を観察していると衝撃だったのが、他国ではこんなめんどくさいことはいらないようすだ、「開発者」の人がやってみようと思ったら「やる」だけの話だ。

 前にも書いたのだが、500人ものハッカソンの開催が、1回の会議で決まっていく。日本だったらいろんな人の承認とか、合意とかを得ないと実施できない。こんな「めんどくさい」なら、日本では「無理」という気持ちはとてもよくわかる。だから、それをぶち壊したいのだ。

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素直に考えると、これだけめんどくさいと、「あー、もうめんどくさいから、海外いくわー」とか、「めんどくさいから自分で会社やるわー」とか「めんどくさいから、めんどくさくない文化をもったスタートアップに参加するわー」となるのも当然だろう。 そもそも、新しい技術や考え方の導入は、ずっと遅くなるのも当然だ。でも、新技術や、新しいモノの考え方の導入は、本来楽しくてエキサイティングなものだと思う。

「自分の人生に責任をもつ」マインドセットの楽さとチームの楽しさ

 正直いって、私も昨年から始てインターナショナル環境で働き始めたので、その後初めて知ったことだが、インターナショナル環境で働くのは楽しいし、すごく生産的だ。自分の上司は、明確で無理のないKPI,ビジョンを示したら、あとは自分にフルに任せてもらえる。

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自分で考えて自分で実施する。チームメンバーや、ほかのステークホルダからも、「あなたはこうすべきだ」みたいなことは一切言われない。

 ただ、自分がフィードバックしてほしい時に聞いたら喜んでアドバイスをくれる。みんなそれぞれが自分の仕事を楽しんでいる。「我慢」は一切だれもしていない。チームでやる必要がある仕事があって、誰も手を上げない場合は、「誰かこれにパッションある人を雇うか」となるか、普段自分がやりたいことをやっているので、「今回は俺やるわ」みたいな感じで、やらされるのではなく、自分が決めてそれを実行するので、何の不満もない。また、それを誰も選択しなくても、誰がわるいとかそんな話にはならない。

 みんな主体的に自分の仕事を持っている。だから、誰も助けてくれなくても、それが普通だ。「助けるべき」みたいな変なプレッシャーは存在しない。忙しいときに、会議をスキップしても、メールをスルーしても、特になにも言われない。その人が仕事に対して責任をもっているので、誰かのせいではない。自分がKPIを達成できなければ、自分の給料が下がるか首になるだけだ。

 だから、誰かが助けてくれたときは、とてもうれしい。

 チームのために何かを作業したら、みんなからほめてもらえる。「ここがだめ、あそこがだめだ、さらにこうすべきだ」みたいなことにはまったくならない。ただ、正直なコメントは飛び交うけど、それをしたからといって、「誰かがきずつくからオブラートに包んで、、、」みたいなことはない。みんな「大人」とみなして行動する。意見が違っていたりしても誰も気にしないし、言ってはいけない意見とかも、仕事上は特にない。早く帰っても、いつ休暇をとってもだれも、それをさぼってるとかは思わない。むしろエンジョイしろよと言ってくれる。

プロフェッショナルさは重視される

 そのわりにとても結果に関しては、プロフェッショナルだ。日本でのプロフェッショナルというのは、すごい厳しいイメージなのだが、インターナショナルチームだと、厳しさはみじんもない。「基準」に達している、否かは非常に明確だが、失敗しても、チャレンジには開いているので、何回でもチャレンジできる。  さらに、仕事も人生もエンジョイするものという考えだ。だから、各個人は楽しみながらスキルを常に磨いているので、アウトプットはみんなレベルが高いし、スキルアップを怠ってる人なんて人も見たことがない。

 たぶんこれは「雇用制度」の違いも大きいと思う。こちらでは、簡単にクビにできるので、みんな「自分」が売れるようにしておく必要がある。会社も、働かない人は、残念ながら退職していただくことができる。一瞬これは厳しそうに見えるがKPIが達成不可能なものになっていないので、日本での「厳しさ」感はないし、裏を返せば、社員のほうも、嫌だったらいつでもやめてもっと楽しい会社に移ることができる。だから、今のところより条件が良いところがあったら、あっさりそっちに乗り換える。そんなことをしても、誰も「裏切りだ」とかは言わない。だって、本人のチョイスだからだ。

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海外の労働環境の楽しさが伝わりつつある

 今まで私はインターナショナルチームで体験したような環境が存在すると思っていなかった。でも、海外に出たらそれが存在した。自分がハッピーで仲間もハッピーでイキイキ仕事ができてめんどくささがないので、生産性も高く、みんな一年ごとにさらに向上しあえている。マイクロソフトだからと片づけるのは簡単だけど、海外で働いて、日本に帰ってきた人で「日本に帰ったらいろいろめんどくさい、また戻りたい」と言っている話を少なくとも私はよく聞いている。たぶん同じような感じなのだろう。

前回のポストをした後に、こういうコメントをくれた人がいた。彼はUSに住んで働いている。

彼のコメントは、今ならどういう意味かわかるのではないだろうか?

この事実は一瞬ネガティブな情報に思える。しかし、もしあなたの会社が、海外のようなハッピーな職場にすることが出来たらものすごい行列のできるようなお店になれる可能性があるのではないだろうか?カルチャーに取り組むところはそんな多くないから差別化の大チャンスだ!

日本で「自分で人生を決める」マインドセットのチームを作るには?

これは私も試行錯誤の最中だ。しかし、確実に作れるとは思っている。ポイントは「チーム全体のカルチャーのチェンジ」だと思う。例えば、チーム10名のうち、1名だけ、「自分で人生を決める」マインドセットの人がいたとする。その人が海外で過ごしていたのと同じノリで仕事をすると、針の筵のような感じになるだろう。

 一方、海外のチームに参加した日本人で、このような、「快適さ」に気づく人は多いと思う。こっちのほうが楽しくて、待遇もよくて、スキルアップできて、チームに喜んでもらえるし、自分の思うようにできる。最初は、自分が持っていた「自分で人生を決めない」マインドセットで、戸惑うことがあるが、2か月もすればなれてくる。そうなったら、日本での勤務を思い出すと本当にバカバカしく思えてくる。

だから、そういう人は私も含めて将来海外でまた働きたいと思っている人も多いと思う。

 つまり、そういう環境にいたら、日本人でもすぐ慣れてしまうわけだ。ということは、こういうマインドセットをチームのカルチャーにして、チームのみんながそれになじんでくると、新しく来た人もそのカルチャーにすぐ慣れてくるということが可能な気がする。  Pivotal Labs はサービスとして、Extreme Programmingというアジャイルの手法を顧客に伝えるときに、顧客をPivotalにしばらく呼んで、一緒に開発をして、その開発習慣を伝授するサービスをやっている。非常に本質的だ。

 つまり、それと同じことを、自分のチーム、もしくは会社でやればいいのではと思う。もちろんまだ私もこれに関しては事例はないがご希望の会社さんがいたら一緒に実施してみようと思う。

 そうできたら、日本でも、「USと同じスピードで技術導入できるチーム」が増えてくるのではないだろうか?

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外から見てるだけなのでわからないですが、きっと、ソラコムさんとか、ソニックガーデンさんとかはこんなマインドセットな気がします。日本でもきっとできると思います!

www.slideshare.net

kuranuki.sonicgarden.jp

統計からみた従業員エンゲージメントの低さ

私もロッシェルさんの著書で初めて知ったのだが、従業員エンゲージメントという指標がある。従業員満足度のことだ。この満足度の調査があるのだが、私は世界平均と、日本の従業員エンゲージメントの比較を見てびっくりした。

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なんと、世界平均だと、「満足」が圧倒的に突出しているのに、日本では、「非常に低い」というのが圧倒している。そして、5年連続で、日本は最下位らしいのだ。そらそうだよな。。。これはやはり雇用形態が大きく影響しているものと思われる。 そして、海外経験者中心に、この実態に気づいている人が少しづつ増えている気がする。そうした人は当然日本の企業で働くのが嫌になって海外に行ってしまうだろう。自分ができることからこの状況にアタックしていきたいと思っている。

books.rakuten.co.jp

「マインドセット」を変えて、世界に勝てるチームを作ろう!

日本人は、海外の人から見るといろいろいいところがある。磨き上げる能力、イノベーティブでユニークな発想、勤勉さなど、これぐらい世界と違うということは相当な競争力なのだ。そのユニークさが生産性のあだとなるなら、あだとなる部分だけ、「マインドセット」としてインストールして、課題を克服してしまえば、日本からもっと世界を「凄い!」と言わしめることができるのではないだろうか?

 そのためには、ソフトウェアの先進国に学んで、その課題を解決していくしかない。私の考えはもちろん私の単なるアイデアで、うまくいくかもわからない。しかし、私的には、他人は変えられないので、想定する「マインドセット」を変えて仕組みをつくる。つまり、「大人とはどういう人か?」の基準をそちらにして仕事の仕組みを変える。楽しくなるし、チームでやれば仕事もめんどくさいことがなくなるし、いろいろ気づかいをすることなく、本当のことが言いあえるし、「我慢」もしなくてもいいし、チームで称えあってハイレベルの仕事ができるチームが出来るかもしれない。そんなチームが作れたらすごくうれしくないかなって思っています。

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 ダメだったらだって?私も海外で職をさがすだけですね!

だって、自分は自分らしくあり、楽しく仕事をしつつ、正直で、プロフェッショナルでありたいですから!

  次回は自己組織化チームのことを掘り下げてお話ししていきたいと思います。